炭素繊維量産化直後に登場


釣り竿の素材は大きく分けて竹、グラス、カーボンの3種がある。このうち、現在、生産量の9割を占めているのが、軽量で反発力やアタリの伝達性にも優れた力ーホン竿だ。

カーボン竿が誕生したのはいまから30年ほど前。世界に先駆け、日本で力ーボン・ファイバー(炭素繊維)の量産が始まった直後のことだ。力ーホン竿の歩みは、炭素繊維の進化の歴史でもあるという。
力ーボンといえば炭素のこと。燃料に使う炭、塗料やコピーのトナーに使われるカーボンブラツクなどから、くずれやすかったり、黒い粉を連想する人が多いはずだ。
カーボン竿も粉体から作っているのか。また、粉体で高い強度の釣り竿ができる秘密とはー。
そこで、釣り竿メー力-と炭素繊維メーカーにカーボン竿誕生の経緯と炭素繊維の進化を尋ねてみた。

強度は鉄の10倍

アクリル繊維を燃えないようにコントロールしながら徐々に昇温し、1,500度くらいで熱処理すると炭素含有率がほぼ100%の糸ができる。これが炭素繊維だ。直径5マイクロメートル〜8マイクロメートルの非常に細い糸が1,000本〜24,000本集合して1本の糸になっている。
塗装していない竿の内側が黒いためか、カーホン竿は炭素で出来た粉を固めて作ると誤解している人も多いが、カーボン竿は炭素繊維を樹脂で固めて作る。
炭素繊維は、鉄に比べて比重は約4分の1、強度は約10倍。「軽く、強く、ゆがまない」という優れた特性を持っている。

炭素繊維を始め、黒鉛(コピーのトナー、顔料のカーボンブラック、えんぴつの芯、炭など)やダイヤモンドは、すべて炭素原子だけでできている。
炭は崩れやすく、トナーは粒子が細かい粉だ。これに対して、ダイヤモンドは地球上の物質でもっとも硬く、結晶も大きいことで知られる。同じ炭素原子からできている物質なのに、性質が大きく違う原因は分子構造にある。
炭素繊維も黒鉛も6つの炭素原子でつくられた六角形が網目のように連続した形をしている。炭素繊維はこの網目構造が規則正しく何段も重なり台い、強固に絡みあっているので、強度が高く粉状にもならない。これに対して、黒鉛はこの層構造が無定形で絡みあいも少ないため、崩れやすく、粉体にもなる。

最初の用途に釣り竿

19世紀末、トーマス・エジソンとジョセフ・スワンが、木綿や竹を焼いて作ったフィラメントを用いた電球を発明したということは広く知られているが、このフィラメントが炭素繊維の始まりだ。
炭素繊維が再び注目されたのは1957年。ユニオン・カーバイト社(アメリカ)がレーヨンを原料に炭素繊維を試作。耐熱性が要求されるロケット噴射孔の材料として軽くて強い繊維の開発を目指す過程で誕生した新しい素材だった。

日本でも、通産省工業技術院大阪工業試験所(現・産業技術総合研究所関西センター)の進藤昭男博士らが炭素繊維を研究し、59年にアクリル繊維から作るPAN系炭素繊維の開発に成功。63年には、群馬大学の大谷杉郎博士が石油や石炭のピッチを原料とするピッチ系炭素繊維を作る方法を発見した。

現在の炭素繊維はPAN系とピッチ系でほぼ100%を占めるから、炭素繊維はアメリカで生まれ、日本で育った素材というわけだ。
けれど、初期の炭素繊維は「アルミより軽く、鉄より強い」といわれる現在のような炭素繊維ではなく、耐炎性、耐熱性、電気伝導特性はあったが、構造材料に使えるほどの強度は備えていなかった。

欧米、とくにアメリカとイギリスが宇宙・航空機産業への使用に絞って炭素繊維の高性能化を目指していたころ、日本の炭素繊維メーカーは、後の発展の基盤となる基礎的な研究を行っていた。
日本で高性能炭素繊維開発の動きが活発になるのは60年代末ころ。69年、東レ(70年までは東洋レーヨン)が力を加えると変形するが、除荷すれば元の寸法に戻る力が強い高弾性率のPAN系炭素繊維を開発。71年、高強度の炭素繊維「トレカ」を製造・販売した。年12トンの生産能力は当時、世界最大だった。

欧米が目指した宇宙・航空機の市場は当時の日本にはなかった。生産ラインに乗ったものの、東レ関係者もトレカが本当に売れるのか、分らないというのが正直なところだった。
東レが目を付けたのはスボーツ・レジャー分野。その候補としてゴルフ・クラブのシャフトと釣り竿が選ばれた。

開発されたばかりの新素材を認知してもらうためには、メーカーに対し、その素材の特性や用途などを情報提供することがポイントとなる。技術者もセールス・エンジニアとしてトレカをかばんに詰め込んで営業に歩いた。スボーツ用品メーカーや釣具メーカーに出向し、共同でトレカを使った新製品開発に励んだ技術者もいた。

アユ竿からカーポン化

1971年、兵庫県西脇市にある釣り針メーカー「がまかつ」で、釣り竿の製造を目指した基礎研究が始まった。
竿を作る工場もなければ、竿製造の技術者もいない。藤井繁克社長(現・会長78)みずからが他社の釣り竿を切断して構造を確認したり、一部を燃やして成分を調べるという分析から始めたという。
藤井社長は、根っからの釣り好きで、全国的に名の知れた釣りクラブ「流友会」にも所属していた。既存の釣り竿に満足できず、いつかは自分の理想とする釣り竿を作りたいという夢を持っていた。
がまかつが筆作りの基礎研 究を始めた翌年、東京で行われた釣り具見本市で、オリムピック釣員(現・マミヤOP)が発表した日本初のカーボン・アユ竿「世紀」が大きな話題を呼んだ。

炭素繊維トレカを使った世紀シリースは従来のグラス竿よりも軽く、反発力やアタリの伝達性に優れていた。竹、グラス繊維に続く「第3の素材」として、新聞やテレビも取材に訪れた。
釣り竿はすでに竹からグラスの時代へと移行していたが、一部の釣りでは「グラス竿は素人が使うもの」という見方が残っていた。
断熱材・防火材として飛行機に使われていたグラス繊維で作るグラス竿は、昭和20年代末には日本の釣り竿メーカーからも次々と発売された。
グラス竿は竹竿と違って水に濡れても性能劣化が少なかった。丈夫で安価なグラス竿はすぐに釣り竿の主流となった。

けれど、グラス竿は竹竿に比べると重く、アタリに対する感度が鈍かった。このためアユ釣りや渓流釣り、へら釣りでは、1970年代になっても和竿の愛用者が多かった。
そこへ軽くて感度がよい力-ボン竿の登場である。グラス竿に見向きもしなかったアユ釣りや渓流釣りのベテランたちも、新時代の釣り竿である力ーボン竿に大きな期待を寄せた。

初期はグラス繊維と併用

最初のカーボン竿は炭素繊維の「軽く、強く、感度がよい」という特性を十分に生かし切れていなかった。力ーボン竿の製造方法は、基本的にグラス竿と同じだ。接着剤に相当する熱硬化性樹脂を炭素繊維に含浸した「プリプレグ」と呼ばれるシ一トを、圧力をかけながらマンドレル(芯棒)に巻きつける。これを120度〜130度の温度で焼き、硬化したらマンドレルを抜き取る。両端を切断して長さをそろえ、研磨、塗装の工程を経て完成する。
ところが、グラス・シートは縦横に繊維があるのに対して、力ーボン・シートは縦方向の繊維しかない。そのままでは横方向の強度が不足するので、強化材が必要になる。

このため、縦方向に炭素繊維、横方向にグラス繊維を織り込んだプリプレグを開発。このプリプレグは厚かったので径の細い部分はマンドレルに巻き込むことができず、穂先から3番まではグラスが使われていた。
グラスだけの部分とカーボンを入れた部分では弾性に大きな差がある。その継ぎ目には、竿が曲がったときに力が集中して折れやすくなってしまう。

炭素繊維の比重は1・8に対してグラス繊維は2・4。カーボンが入っている部分は細く軽くできたが、竿の先の部分は重いグラスだ。重量バランスが穂先の方に寄って、持ち重りも問題になった。4番との継ぎ目にかかる力を減少させるため、3番のテーパーをきつくしたり、継ぎ目部分を厚くした。持ち重りをなくすために、もっと細くできる部分をわざと太くして重心を元竿側へ寄せた。
当時、グラス製アユ竿は一番長くて7.2メートルで、重量は軽くても1,020グラム〜1030グラム。カーボンを使えぱ500グラムのアユ竿を作ることも可能だったのに、最終的には硬調7.2メートルで690グラムになった。力ーボン含有率は50%ほどなので、現在のカーボン竿のように全体がシャキッとした感じもなかった。

76年、がまかつの釣り竿工場が完成。翌77年には、初の釣り竿「がま鮎レツド」を発売する。素材は東レ製カーボンで、プリプレグはカーボンとグラスの織物。竹の模様を入れ、元竿に藤巻きを施したおしゃれな竿だった。
磯竿バージョンである「がま磯レツド」を加えた後、同年末には「がま鮎シルバー」を発表。がま鮎シルバーは、カーボン・シートに、縦横に繊維が入った薄い平織りグラスクロス(スクリムクロス)を張り台わせたプリプレグを使用。自重は中調子7.2メートルで410グラム。それまでのカーボンロッドよりも軽く、反発力が強い竿だった。

その後、がまかつは高弾性カーボンを使ったゴールド・シリース、軽量化したSSシリーズを相次いで発表。釣り竿メーカーとしての地位を築いていった。

出来ないことを証明してみよう

「100%カーボンの竿を作ろう」81年、藤井社長から相談された製造部の下井良次工場長(32歳当時)は、返答に困ったという。横方向強化材もカーボンにしたアユ竿開発の打診だった。穂先には、柔軟性を出すために少量のグラス繊維を入れなければならないので、正確には100%をわずかに切るが、カーボン含有率が抜群に高い竿だ。釣り竿のなかでも、最も早くから炭素繊維を導入したアユ竿は、当時、釣り竿各社が性能向上にしのぎを削っていて、とくに軽量化競争が激しかった。

同じ長さなら、肉厚が薄く、径が細いほど軽い竿に仕上げることができる。けれど、問題となってくるのが強度。強度を出すため、竿の表面にX状に力ーボン・テープをびっしりと巻いたり、ボロン繊維を加えたり、高弾性炭素繊維を使用したりと、アプローチの仕方は各社、異なっていたが、いずれも横方向強化材にはグラス繊維を使っていた。横方向強化材もカーボンにすれば、これまでの竿よりもケタ違いに軽く、細く、強い竿ができるのは分っている。けれど、曲げたときに折れてしまう心配があった。

釣り竿の変形は長手方向に大きくたわむ変形と断面の楕円変形が同時に起きる。カーボン竿では、長手方向の変形には炭素繊維の縦方向強度、楕円変形に対する強度は横方向強化材の強度が対応する。
炭素繊維はグラス繊維に比べると伸びがなく、強度の限界を超えるといきなり壊れてしまう。引っ張り強いが、つぶしには弱いという特性もある。横方向の強化材を炭素繊維にすると、力が集中する部分にひびが入ってしまうと考えられていた。
けれど、がまかつの開発スビリットは「とにかくやってみる」こと。一見、不可能なことでも挑戦して「できないことを証明してみよう」という姿勢だ。 こうして東レとの共同による100%カーボン竿の開発が始まった。がまかつ社内では、藤井社長、下井さん、竿製造部の藤村光男さん(37歳当時)の3人しか知らない極秘プロジェクトだった。

荷重分析に暮づいて設計

藤村さんによれば、竿の設計で最も重要なのは竿に掛かる力の逃がし方だという。100%カーボン竿の開発でも、力の分散が設計の決め手になった。竿に掛かる力が集中する場所は、魚とのやりとりの問に移動する。
例えば、アユが掛かった瞬問の力は竿全体が吸収し、胴が曲がる。アユが逃げる力に対してはより力のある部分が中心となって働き、アユの走りを受け止める。アユが止まると竿は徐々に立ち始め、曲がりの支点は穂先へ移動してゆく。

このような竿に掛かる荷重の動きを細かく分析し、竿のテーパーや厚み、素材の弾性を変えて、力の集中する点が止まらないようにすれぱ竿のつぶれを防ぐことができる。
その調整は節単位にとどまらない。「9本継ぎの竿を18本継ぎと考えて分析、調整しました」と藤村さん。ひとつの節の中でも、強い部分と弱い部分を作ったという。

この考え方は後に「ロッド剛性分布理論」へ発展。釣り方や対象魚ごとに竿にかかる力の変化を調べ、各部分の最適な剛性分布を割り出し、応力点(力が集中する点)を常にベストな位置へ移動させようという考え方だ。
応力点の移動がスムースでないと竿がブレたり、糸切れの原因となってしまう。硬さ、重さ、そして弾性率、伸度、振動数といった素材特性を最適化すれぱ「竿を矯めるだけで魚が浮いてくる」竿になるという。

真冬の川でアユ竿テスト

がまかつ本社の横には加古川の支流、杉原川が流れている。83年2月、降りしきる雪の中、この川に立ち込んで季節外れのアユ釣りをする藤井社長の姿があった。使っている竿は従来のアユ竿からは想像できないほど細身。いかにも軽そうで、片手でらくらくと操作していた。
竿は出来上がったばかりの100%カーボン・アユ竿の最終試作品。おとりアユの代わりに、ウグイを使っての操作性テストだった。

がまかつでは、アユ竿の最終テストを例年6月20日ころに始め、9月には終了する。
季節外れのテストになったのは、東レと共同開発していたプリプレグの完成が年明けにずれ込んでしまったためだった。当時、世界最大の炭素繊維メーカーに成長していた東レの技術力をしても、炭素繊維横補強材の開発は困難だった。

完成したプリプレグは、横方向の強化材として厚さ0.03ミリの極薄い炭素繊維一方向材を貼り付けたもので「プリプライド・プリプレグ」と名付けられた。がまかつも、プリプライド・プリプレグの成型に苦心した。成型のとき、積層間に気泡が入り、テーパーがきついところでは積層が蛇行した。

成型時のプレスのかけ方やマンドレルの形状などを細かく調整。試行錯誤で問題を解決した。
積層状態の確認では竿を輪切りにして断面を検査する。ここでは、釣り針の開発で培った組織写真による解析のノウハウが大いに役立った。薄く伸びがないプリプライド・プリプレグは、従来のプリプレグと同じように持ち運ぶと自重でパキッと割れてしまう。たわまないように板の上に置いて運搬した。

プリプライド・プリグレブの強度は、従来のスクリムクロス付きプリプレグの約3倍。このため、スクリムクロス付きプリプレグでは3層が必要な部分を2層にすることができた。その結果、軽量化と細身化が大幅に進んだ。
この100%力ーボン・アユ竿は「がま鮎マークU」の商品名で、83年5月に発売された。
がま鮎マークUの中調8.1mは自重245グラム。他メーカーの最新アユ竿が275グラム〜295グラムという中にあって、群を抜く軽さだった。

1OO%カーホンと過重分析に基づいた設計の効果で、これまでにない細身の竿にもかかわらず、竿全体にパワーがあり、感度が抜群なことも話題となった。がま鮎マークUは多くの友釣りファンに受け入れられ、ヒット商品となった。一日の注文量が一カ月の生産量を超える日もあるほどで、生産が追いつかない状態が続いた。
「コスト計算がない時代だからできたんでしょうね」と藤村さんは当時を振り返る。コスト制限を気にすることなく、納得ゆくまで開発できたのは技術者として幸運だったという。

「Jリーグをつくった男」として知られる日本サッカー協会の川渕三郎会長は「変革はトップ・ダウンでしか起こりえない」という。ただし、川渕会長はこれに「それに応える部下がいなければ変革は起こりえない」と条件をつけている。
Jリーグの成功は川渕会長の力も大きいけれど、彼に応える部下が大勢いたからだ。
JR民営化がうまくいったのも、日産リバイバル・プランがそれなりに進んでいるのも、トップの手腕だけではない。
がまかつの100%カーボン竿の開発でも藤井社長の強力なリーダー・シップが働いた。理想とする竿を作りたい−そのために毎日のように撤(げき)を飛ばしたという。そして、がまかつにはその熱い想いに応えた部下がいた。

人工衛星の部品にも炭素繊維

カーボン竿登場の翌年、トレカを使った国産初のカーボン製ゴルフ・シャフトが発売。その後、テニス・ラケットにも採用された。80年代半ばの釣りブーム、ゴルフブーム、テニスブームの到来もあって、トレカを始めとする炭素繊維の需要は右肩上がりで推移した。

スボーツ・レジャー用品での実績が後押しとなって、東レはアメリカ航空機産業へも需要を拡大。技術力の高さを示すデモンストレーションにはアユ竿が使われた。8メートルも長さがある細身の竿が、横にしてもたわまないことに、炭素繊維を生みだしたアメリカの技術者も驚いた。82年には動翼、扉、カバー類にトレカを使用したボーイング757および767、エアバスA310が初飛行。貨物室扉にトレカを採用したスペースシャトル・コロンビア号も打ち上げられた。

現在、炭素繊維は東レ、帝人子会社の東邦テナックス、三菱レイヨンの国内3社で世界シェア(市場占有率)の7割を占める。炭素繊維の世界の需要量は年問約1万5千トン。今後10年問は、産業用を中心に年10%の成長が見込まれている。スボーツ・レジャー関連では、釣り竿、ゴルフ・シャフト、テニス・ラケットでのカーボン普及率はいずれも9割以上。野球バット、スキー板、ヨツト、カヌーへの応用も進んでいる。

エアバス社は2006年から就航するA380の主翼の材料に東レを始めとする国内3社の炭素繊維を使うことを発表。1機に使う炭素繊維量は約34トンで、従来の航空機の3倍になるという。
近年は人工衛星の部品、水素タンク、風力発電の風車、橋脚の耐震補強材など、軽くて強い素材が必要な分野で用途がどんどん広がっている。

釣り竿で需要を切り開き、釣り竿とともに高性能化した炭素繊維は、現在も進化を続けている。
近年の炭素繊維は、70年代の製品に比べて強度は約3倍、弾性率は約2倍。強度競争、弾性率競争は今後も続く見込みなので、カーボン竿もより強く、より軽く、より高感度になるだろう。
また、ピッチ系の低弾性カーボンも性能アップが著しい。グラス素材のしなやかさと粘り、カーボンの強度を両立した究極の穂先の開発が期待されている。炭素繊維の進化とともに力-ボン竿の性能アップもまだまだ続きそうだ。

                      BACK   NEXT
現在、釣り竿の主流を占めているカーボン竿。
カーボンといえば炭素なので、黒い粉のはず。繊維ではない粉体を釣り竿にしたとすれば、発想のきっかけは何だったのだろうか。また、強度を必要とする釣り竿が粉体で出来た秘密は何なのか-。
いまでは、だれもが、こく当たり前に使うカーポン竿を見ていて、ふと、その誕生と進化の経緯を知りたくなってきた。
軽く強い竿を実現したカーボンロッド誕生の秘密

コラム50
月刊釣り情報 2004.5月号より
カーボンロッドの話です。(しんゆう)
BACK
NEXT